酒と月 21.4.17

何日も降り止まない雨のせいで、外に出るのも億劫になった酒は、朝から自殺を飲むことにした。閉めきれていないカーテンの隙間から巨大な鈍い灰色の目が見えた。それがなにか悪いものではないことを酒は知っていた。目はただこちらを見つめてくるだけだ。それでも目に映る自分の目に映る目に自分の目が映り……そうやって気を抜けば、永遠は、無限への入り口はどこにでも口を開けるのだった。

白い手首に自殺を注いでいると、ピンポンが鳴った。Amazon、頼んでなかったよな。インターホンを覗くと月が立っていた。入っていい? と聞いてきたのは最初のころだけで、いまではなにも言わず、ドアを開けるとずかずかと入り込んできて、部屋の隅で体育座りをしながらしくしくと黒い涙を流して泣いていた。今日はまた一段とごっそり欠けているな、と酒は思った。

それで別になにを話すわけでもなく、酒はちびちびと自殺をやりながら芭蕉の俳句をまとめた本を読んでいたし、月はこらえきれずに星をあたりに撒き散らしてしまっていた。

その中に、よちよち歩く小さな緑色の赤ちゃん亀がいるのを酒は見つけて手ですくうと、赤い鬼灯が枯れてからというもの、ずっとからっぽだった青い陶器に水を注いで、ついでに集めた細かい星で陸を作ってあげて、そこに赤ちゃん亀を放してやった。見てみろよ、優しい気持ちになるから、と酒は月に言ったが、月は立ち上がると洗面台に行き、鏡を見て、けっきょくのところどこにもわたしはいない、と言って顔を手で覆い、その場にしゃがみこんだ。こぼれている。指の間から。涙。黒い。

自殺を置くと、酒は戸棚から小さな麦の楽器を取り出して、そいつを奏でながらいつものように音符を空間に並べた。泣きやんだ月が手で触れると音符たちは一つずつ物語を吐き出した。当たりの物語もあれば、はずれの物語もあった。〈ファ〉が吐き出したサーモンとまぐろとえんがわとつばすという名前の4匹の子山羊の話はよくできていて、いつのまにか酒と月は二人とも笑い転げていた。わたしは、と月が言った。つばすが好きだな。へえ。だってあの子、勇気があったでしょ。まあ、たしかにね。あれ? 亀がいる。陶器の中を覗き込んでいる。さっき言ったろ。かわいいね。うん。どうするの? どうってなに。飼うの? そのつもり。持って帰るか? 世話、できないからいい。あっそう。また見に来ていい? いいよ。だってそいつ、お前から生まれたみたいなもんだしね。そっか。そうだよ。じゃ、また来る。おう。あ、そうそう、これ、いる? なにこれ。月が笑う。イオンの福引で当たった。ヘアピン。貝殻がついてるのがいいね。だろ?

雨が上がったら、いや、上がらなくても、赤ちゃん亀の餌を買いに行かなくちゃいけないな、と酒は思った。いざとなりゃ、冷蔵庫の中のちくわでも与えてりゃいいんだろうけど。どうせなら。