犇 21.4.18

見てみい。これ。この漢字。犇。ひしめく。ひしめいてるねえ、牛が三匹。二匹でも〈ぎゅうぎゅう〉やねんから、それ以上。ぎゅうぎゅうぎゅう、で、犇。わ! またワシ、上手いこと言うてもうたわあ。ウシちゃうで、ワシやでえ、わっはっは! と笑うワシはもちろん一人のロンサムボーイ、ボーイと言ってももうすぐ五十、だいたい群れるなんてなあ家畜が、鰯が、己の身を守るための技術であって、胸を張って、男子よ、いや最近はこれだけでは差別になっちまう、女子も、一人で生きていこうではないか!

そりゃあもちろん孤独はつきまとう。しかし孤独なんてのは結局隣の芝生が青いのと同じで、他人と比べるからそんな幻想に惑わされるのであって、生来より自分一人だけが自分なのだ、とはらわたから分かっていれば孤独など存在しない。この気持ちは幻。嘘。夢。そうだよね。と妻に逃げられ、財布を落とし、一日寝てみたが状況は変わらない。なにか術はないかってんで昼間っからぶらぶらほっつき歩いていて見つけた焼き肉屋「犇キッチン」。カルビもロースも犇いて。いいなあ。ダクトから流れる肉の焼ける匂い、ワシがまだ狩猟民族だったころの、太古の村の記憶へと誘う。その村はお尻を出した子一等賞。だからワシは常に半ケツ、どころか七割がた全ケツ。で、村のヒーロー。そのワシが焼き肉、どころかコンビニのおにぎりすら買えんのか、喰えんのかまったく理解できん。拳を握り、怒りに震え、突っ立ってると警察。向こうから。最悪。どうされましたか? いや、財布を落としましてね。今日ですか? 昨日です、たぶん。ちょっと飲みすぎて。なるほど、お父さん、いまも飲んでます? 飲んでないです。あとお父さんじゃないです。はは、なにか身分の分かるもの持ってはります? いや財布に全部入れてました。分かるやろ? アホかこいつ。なるほど、そうですよねえ、お名前とご住所だけお伺いしていいですか? いや、大丈夫です。あ、大丈夫とかじゃなくて。どうしていつもこう面倒なことになるのか。妻に逃げられ、財布を落とし、ヒーローだった原始時代から、こんなところまで無理やり連れてこられて。馬鹿にされ。見下され。蔑まれ。奪われ。裏切られ。近代の、資本主義、監視社会、マキャベリスト、テクノロジー! ビットコイン!」ははは、姿を見せたな狂人め、といった感じでおまわりがにやにや笑ってやがる。途中から声に出てたか。まあいい。侵略者め、もう一度連中から自然を取り戻さねばなるまい! ワシは絶叫、いまふたたび気持ちはヒーロー、焼き肉屋の中に突進。もうなにもかもうんざりだ。うんざりだ! と腐っていくテレパシーズの歌を唄いながら、もう、もう、って、あっ、いつのまにかワシが牛になっとるんやね。もー! なんて、思わず笑って。