ソーダのアイスバー 21.4.19

世界を理解するならまず植物図鑑から買わねばなるまい。歩く道に生えている草や花、その名前すら知らないということに突然わたしはショックを受けた。わたしは毎日見ているものの名前すら分からないのだ。既知から未知へ。世界は手袋をひっくり返すように裏返り、くらくらとした目眩を感じながら、その日はどうにかデパートに行って買い物を終えて家に帰ってきた。夏。クーラーがあたるとわたしは調子が悪くなるが、クーラーなしでは、この炎天下、生きていけるはずもない。あぢい、とうめきながらアイスでも頬張ろうかと冷凍庫を見るがチョコレートのアイスバーしかない。ちがう。わたしがいま食べたいのはソーダアイスバーなのだ。あの水色。見ているだけで涼しくなる。チョコレートのアイスバーは炬燵にだってあう、冬でも食べられるがソーダアイスバーは絶対に、夏! いますぐ誰か、持ってきてくりい、とベッドの上でだらだら寝そべりながら、なんの生産性もない時間を過ごしている。そんなわたしが嫌いだ、と思っている自分のことは嫌い、ではない。

スマホで雑草の写真をいろいろ見ているけど、やっぱり実際に見てみないとよく分からない。角度や光によって、同じ雑草でもちがって見えるのは、自撮りをする時にあちこちスマホで盛れる角度を探すわたしにもよく分かる話だ。

夏はまだ始まったばかりだが、秋になれば、もう少し風が冷たくなれば、道を歩いて雑草たちの名前を一つ一つ調べていくのもいいかもしれない。すごいなあ、たとえばタンポポタンポポという名前をつけた人がいて、名前をつけた人の名前をつけて産み育てたその人の両親がいて、そうやって出会ったり別れたりして巡った縁が、目の前で揺れているこの可憐な黄色の小さな花に宿っているなんて。タンポポ一つに、宇宙のすべての歴史と可能性が詰め込まれている。すごい。

でもきっとわたしは秋になってもこうしてだらだらとベッドで寝そべって、いつまでたっても雑草の名前なんて調べにいかないだろう。それより、夏が終わる前にソーダアイスバーを食べなくちゃ。ああ、誰か、ソーダアイスバー、持ってきてくりい。とわたしはTwitterに呟いて、シーツの冷たい部分を足で探し出して、もう少しだらだらすることにした。